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   備前焼

 火だすき桝形小付け鉢
   単品

  (段ボール箱入り)

 aー138

 本体価格
  1個 2,300円


◎カテゴリーあるじの逸品>食器
小付け鉢

 径 6x6.2cm  高さ 4.7cm
重さ 125g
 
 
玄明作   手造り   陶器 
 
【 上田玄明】

1950年 愛媛県 内子町に生まれる。
1968年 東海銀行上六支店入行。
1970年 デザイン専門学校にてインテリアを学ぶ。
1971年 いろいろな職業に就く。
1980年 砥部焼を学ぶ。
1984年 (有)玄明を設立。
1987年 備前焼を学び始める。
1990年 本業を他社に委託し陶芸家としての道を決意のぼり窯を借りて初窯。
1991年 山陽町に穴窯を築窯し独立。
1998年 賀陽町に登り窯を築窯し移転。
2000年 田部美術館「茶の湯の造形展」初出品初入選。
2006年 新たに小回りの利く薪窯を築窯。
2015年 新たな発想の大きな穴窯を築窯。
 
 「備前焼」

備前焼は良質の陶土で一点づつ成形し乾燥させたのち
絵付けもせず釉薬も使わず
そのまま焼いたもので土味がよく表れたものです。
焼き味の景色は窯変 胡麻 桟切り 
緋襷(ヒダスキ) 牡丹餅などの変化に富んでいます。
それらは窯に入れる際 
作品の詰め方や燃料である松割木の焚き方などの工夫と
千数百度の炎の力によって七日から十昼夜かけて
じっくり焼しめた硬質のb器(セッキ)が備前焼です。
一点として同じ形も焼き味も同じものはないといえます。


古墳時代の須恵器(すえき)の製法が次第に変化したもので
平安時代に熊山のふもとで生活器の碗・皿・盤や瓦など
南大窯跡が生産されたのが始まりといわれています。
鎌倉時代には主に壺・甕・擂鉢が多く作られましたが
このころから次第に現在の備前焼特有の
赤褐色の焼き肌のものが焼かれ始めました。
明治から昭和初期に至る時期は苦しい時代でしたが
このようなときにも窯の火は
絶えることなく様々な努力を重ね続けました。
この衰退した備前焼を現在の繁栄に導くきっかけを
作ったのが金重陶陽でした。
金重陶陽は昭和31年に国の重要無形文化財保持者に(人間国宝)
指定されこれをきっかけに多くの人々が努力を重ね低迷期を脱しました。
また この頃から国内だけでなく海外でも
純日本的な備前焼の人気が高まり陶陽の死後も
藤原啓 山本陶秀 藤原雄 伊勢崎淳などの
人間国宝を輩出していくようになりました。
  土の温もりが感じられる
備前焼の小鉢です。
 


チョット目面しい枡型小鉢。


無釉薬で布目を施しています。
 派手さはありませんが
落ち着きと趣が表現された
緋襷升型小鉢です。



緋襷の模様は
一つ一つ異なります。
 
   
   
≪緋襷≫

ひだすきは うす茶色の素地に赤 茶 朱色などの線が
「たすき」のようにかかった模様です。 
素地に藁(わら)を巻いて作品を
「サヤ(陶器を焼くための容器)」に入れて焼くと
炎や灰が直接当たらないため作品全体は素地に近いうす茶色に焼け
藁(わら)を巻いた箇所は緋色に発色します。
本来は作品を重ねて窯詰めをする際に
作品同士がくっつかないようにするために
藁(わら)を巻いていましたが これが模様として用いられるようになった。

 
 
   

玄明窯の彫印。
   
※お取り扱い注意

料理を盛る場合は水分を含ませてからお使いください。 
使用後はできるだけ早く洗って十分に乾燥させて収納してください。
電子レンジは使用しないでください。
直火もダメです。